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ゴンクール賞作『人間の最奥に秘められた記憶』について語る

先にお伝えしたようにセネガル人作家モハメド・ブガール・サールの第4作目の『人間の最奥に秘められた記憶』が2021年のゴンクール賞を受賞しました。


今回、作品選考のためにレジュメを担当した駒澤大学の小黒先生に、今回の作品について紹介をしてもらいました。細かい内容については触れられないものの、ぜひ作品の魅力を感じてみてください。


書籍の購入はぜひフランス図書まで。


*書籍タイトルは仮のタイトルです

 

「日本の学生が選ぶゴンクール賞」では、第1回ガイダンスと資料の検討を経て候補が4作品に絞り込まれ、いよいよ選考が本格的に動き出しました。来年3月まで全国各地で重ねられてゆく議論の展開が非常に楽しみです。


いっぽうフランス本国のアカデミー・ゴンクールは、現地時間11月3日12時45分を待って本年度の受賞作を発表しました。栄冠を手にしたのは31歳のセネガル人作家モハメド・ブガール(ムブガル)・サール。刊行と同時に高い注目を集めてきた4作目の長編小説『人間の最奥に秘められた記憶』での受賞です。



いまでは幻となった一冊の書物とそれを著した一人の作家の影に、「私」はどこまで迫ることができるのか —— サールが3年越しで仕上げた新作は、消え去ったはずの存在がまとい続ける謎をめぐって、現代のパリに生きる若きセネガル人作家が繰り広げる調査・探求の物語です。


舞台となる土地はセネガルからフランスをへてアルゼンチンにまで及び、時代も20世紀初頭から現代までひろく設定されるなかで、散りばめられた痕跡をたぐり寄せてゆくプロセスにはどこか探偵小説を思わせるところがあります。


ただし、いくつもの証言や記録、回想から徐々に浮かび上がるのは、あくまで曖昧で断片的な肖像でしかありません。小説化した伝記を書こうとしたわけではないというサール自身の言葉通り、複雑さを恐れずに構成されたこの物語は、パズルのピースがひとつずつ嵌っていくような、あるいは最後にすべてが光に照らされるような展開とは無縁なのです。


そこで鍵となるのは「迷宮」という言葉です。これは幻の書物のタイトルにも含まれる一語でした。


手探りで重ねられてゆく調査が「迷宮」を歩むような感覚を生むことはもちろん、語りの声が予告なく切り替わることで、読み手のなかで異なる「私」の声が重なって輪郭が解け、眩暈とともに方向感覚を失う瞬間が随所に仕掛けられています。それがチリの鬼才ロベルト・ボラーニョの世界にも通じていることは、「人間の最奥に秘められた記憶」という言葉が『野生の探偵たち』の一節だという事実からもうかがい知ることができるでしょう。


自分が探し求めているのは「啓示としての真実」ではなく「可能性としての真実」であり、それはすなわち「私たちがヘッドライトを持たずに古くから掘っている鉱山の奥深くに灯るほの明かり」のようなものではないか —— 語り手が口にするこの問いは、サール自身の問いでもありました。


つまるところ、この小説は、ひとつの広大な「迷宮」として私たち読者に差し出されているのです。


植民地政策やふたつの世界大戦をめぐる社会的な問題にくわえ、広い意味での「愛」というテーマも重要な骨格をなすこの物語には、登場人物が放つ熱や匂いが生々しくも詩的に描き出されます。そのいっぽうで、ひとりの人間をめぐる探求の根底に響き続けるのは、文学とは何か、書く営みとは何なのか、という根源的な問いです。小説=迷宮に足を踏み入れる読者は、それが自分に接続する問いでもあることを、ほとんど身体的に受け止めることになるでしょう。



ちなみに本書は、パリとダカールにそれぞれ拠点を置くふたつの独立系出版社(Philippe ReyとJimsaan)によって共同刊行されました。


一目でそれとわかる大手出版社の装丁にも味わいがありますが、さりげなくエンボス加工が施された本書の佇まいには清新な魅力が溢れます。448ページ分の厚みが過度の重みを感じさせないのは、柔らかく空気を含んだ紙が、本の背を支える手のひらにしっとりと馴染むからでしょうか。


表紙に目を向けると、青みがかったインクで綴られた手書きの文章を背景にして、サール自身にも似た人物の半身が流れるような筆運びで浮かび上がり、温かみのあるオレンジ色のシルエットがそれと絡み合うように描かれています。


受賞の知らせを受けた日のサールは、シルエットとおなじ色味のブルゾンをはおって「ドルーアン」に姿を現しました。単なる偶然にも思える出来事ですが、すでに「迷宮」の深みを知った読者には、それがサールから送られた微かな目配せのようにも映ったのではないでしょうか。


(小黒 昌文)

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